鈴木園の歴史
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当時は館林(車で2~30分)までリヤカーを引いて行き行商をしていたそうです。
この古河市の各茶店は昭和の時代までは、猿島茶の問屋として地元産の茶を仕入れ、静岡との売買や東北地方などに出荷していました。
国鉄の貨物列車などでかなりのお茶を流通させていましたが、宅配便が普及し始めた頃から産地直送が増えてしまい、私どもの仕事は徐々に淘汰され、今では名ばかりの茶問屋になってしまいました。
そんな中で、やはり店舗を構えている以上は店売りを確保していかなくてはいけません。
減少する売上の対応策として他店との差別化を図り、売上の維持のために、当店独自のブレンド=「当店だけの旨いお茶」を売るために3、4箇所の産地をそれぞれの特徴を活かし品質が安定する様にブレンドしています。